富勢剣友会、大きな声で元気いっぱい!

*稽古とは

*稽古


《剣道術理へ戻る》


◎稽古とは
 日本古来の武道や芸道では練習の事を『稽古』と呼ぶ場合が多いようです。 稽古という語を字義の上から解釈すると、『古(いにしえ)を稽(かんが)える』という事で、先人の教えについて工夫研究するという意味であり「考える」という意味が多分に含まれています。さらに「稽古」には「練磨」とか「鍛錬」というような訓練的な意味や「修練」とか「修行」という修養的な意味も含まれています。したがって、現代でも「剣道の稽古」という言葉には単に技術をみがき、身体を丈夫にするという意味ばかりでなく「剣道を通して自分を磨く(人間をつくる)」というような意味が含まれている事を認識しなければなりません。 しかし初心のうちから考えすぎると、技が伸びず、心に迷いを生じ、かえって進歩を阻害する結果ともなり、あまりに考えすぎる事はよくありません。少なくとも始めてから一、二年は剣道そのものに慣れることが必要でただ無心に教えられたとおり稽古の数を重ねる事です。稽古の数を重ねれば、自然に技が上達進歩します。
 技が進歩するに連れて、自分の修行(稽古)について不満や疑いが生じ、考え工夫すべき問題がひとりでに湧き起こってきて、考えざるを得ず、工夫せざるを得なくなるものです。そこから進歩向上が生まれるのです。要するに「稽古」とは『工夫と努力』であり、考えるということと熱心に数を重ねるということです。ただ考えただけでも上達しないし、ただ数を重ねただけでも進歩は望めません。

※次に稽古の場合の心掛けを挙げると。
一、少しでも数多く稽古すること。
二、正しく確実に稽古すること。
三、 工夫を怠らず稽古すること。
四、なるべく上手(うわて)に稽古すること。
五、気力・体力を惜しまず稽古すること。
六、苦手(にがて)と稽古すること。
七、自分より下手(したて)の者にも気をゆるめず稽古すること。
八、目標を立てて稽古すること。

※稽古上の心得
(一)まずは、基本にそった剣道を心がけることです。基本は剣道の根本で、この基本をもとに剣道が成り立っているといえます。
したがって、剣道を始めようとするものは、まず正しい基礎づくりのために、正しい基本を学ぶのです。
 基本は理合(道理)にかなった理想の姿でもありますから、基本は剣道を習い始めの者のみが行うものだと思うのは問達いで、基本は剣道の目標の姿でもあるのです。したがって、常に基本にそった剣道を心がけて修練するのが望ましいと思います。
(二)つぎは、一本の打ちの要領を修得するように努めることが大切だと思います。一刀流の教えにも、「刀は万刀に化し、万刀は一刀に帰する。」と教えられております。一本の打ちの要領が会得できれば、あとはただ打突の部位が違うだけで、打つ要領や、突く要領はみな同じです。そういう意味で、一本の打ちをマスターするように努めることが大切だと思います。
(三)つぎは、体のどこにも突っ張りとか、たるみのないようにするのが大切だと思います。これは、例えがあまり適切でないかもしれませんが、昔、縁日などでよく売っていた竹で作った蛇のおもちゃがありました。短い竹を糸でつないでできていますが、あまり強く糸を引っ張って、強く締めると、一本の竹の棒のようになるし、緩み過ぎると、短い竹がバラバラになって、蛇の格好になりません。適当な強さで締めておくと、蛇のような動きがします。このことは、体の関節について考えてみても『やはり突っ張り過ぎてもいけないし、緩んでもいけません。ほどほどの緊張があって、はじめて蛇のおもちゃのような動きと同じように、腕も足も思うままに動いていくのだと思います。このことは、体のことだけではなく、精神面でもいえることだと思います。

※互格稽古
 これは、いわゆる地稽古といわれるもので、昔から、稽古は試合と思え、試合は稽古と思え。また、稽古は一本勝負を繰り返すものだと心得よ。などといろいろの教えがありますが、いずれも稽古は試合のように真剣にやれということだと思います。
 稽古が試合と違う点は、お互いが審判し合って勝負を争うということです。また稽古は試合のようにはやりますが、試合ではなく、やはり、練習という意味をもっています。
 間合のとり方とか、打突の機会のとらえ方とか、攻め方などを工夫研究しながら練習しなければなりません。しかし、例えば基本打突ができないものが互格稽古のなかで、正しい打突を会得しようというのは無理です。このような人は、まず、人形打突台のような打突練習をして、基本打突ができるようになってから、稽古で生かすようにしなければいけません。
 一足一刀の間合で稽古をするように心がけることが大切です。真剣なら、もう勝負がついているような近間で、ガチャガチャとやるようなことはよくありません。
 一足一刀の間合いというのは、一歩出れば相手に届く距離で、このことは、自分だけでなく、相手も同じことで、自分が打てるということは、相手にも打たれるということです。どのように打つか、打たれるかといったギリギリのところで稽古することがきわめて大切なことです。

※剣道に『理業一致』という言葉があります。
 すなわち理業を一致させるのが、稽古の目的です。それには理を究める。理を究める道は『考える』ことです。それには理を究める。理を究める道は『考える』の一致あるのみです。そして理に業を従わさせなければなりません。それには数を重ねるということが第一なのです。
 現在の剣道の稽古を振り返ってみると、打たれる為の稽古をしている人が意外に多いのではないでしょうか。すなわち無駄の多い、練りのない稽古です。「気を練る」ことの欠けた稽古内容なのです。
いわゆる相手の気攻めに対して、打突しようとするやり方なのです。
 気攻めにはあくまでも気攻めで対応しなければ、もはや修行という言葉は存在しなくなり、棒振り剣術と化してしまうでしょう。

※修行上の一般的な心構え
(一)まず、気の働きを盛んにすることです。剣道は、精神活動と身体活動から成り立っていますが、とりわけ精神活動が大きい分野を占めています。未熟なうちは、身体活動の方が主になりがちですが、進歩するにしたがって精神活動の方が主になっていきます。剣道が年をとってからできるゆえんであります。したがって、常日頃から体力に頼る剣道ではなく、精神活動、気の働きを主とする剣道を心がけて修練することが大切だと思います。
(二)つぎに、心がけなければいけないことは、剣道は現在であるという認識です。今日の剣道は、昨日の剣道よりも少しでも進んでいるような在り方が望ましいと思います。是非、そういうように努めたいものと思います。
(三)つぎに、大切なことは、修行は自分でやるもので、他人がやるものではないということです。これは、あたりまえのことで、わかりきったことでありますが、住々にして、だれか他人事のように思って、先生の教えを待っている人がおりますが、それではいけないと思います。先生の姿から自分がこれを学び取る。
 先生のいろいろなところを盗み取るという心がけが大切だと思います。
(四)つぎに、自信と謙虚さをもつことか必要ではないかと思います。自信というのは体験から生まれるものだと思います。小さい子供でも、青年でも、大人でも、年寄りでも、自信がなければなにもできません。しかし、うぬぼれてはいけません。これは足が地についていない状態ですから、絶対にいけません。体験から生まれた本当の自信というものは、やはり剣道でも必要だと思います。それから、自信とは裏腹であるような謙虚さがまた必要だと思います。謙虚さがなければ、正しいものを正しく見ることもできませんし、正しい話しを正しく聞くこともできません。これでは進歩、向上はないのです。
 自信と謙虚さをほどほどにもつことが大切だと思います。
(五)最後になりますが、修行の過程は得意と落胆の繰り返しだと思います。山の峰のつぎにきは谷があり、谷のつぎは峰があります。
 峰に出たときは得意なときであり、谷に降りたときは落胆のときであります。
 谷にあるときには、自分はいま進歩の途中にあるのだと、あえて思い直して歩み続けることが大切だと思います。止まらずに歩み続けていけば、必ず得意な峰に出ることができると思います。
 修行の過程では、この得意と落胆を何度も何度も繰り返し、繰り返して、前に前にと進んでいくものだと思います。

※効果的な稽古(一) 
 試合でも地稽古でも、相手が打ってきた剣を受け止めて、反撃や後打ちもしないで安心して鍔ぜり合いをしたり、その鍔ぜり合いが長かったり、その鍔ぜり合いで何もしない人がいますが、試合では時間との戦いです。
 受け止めたときが「打突の好機」なのです。もたついていてはいけません。
※普段の稽古で、八つのパターンを意識して稽古することが効果的だと言われます。それが、剣道の流れを良く理解することにつながるのです。
一、位攻をし  二、我慢して 三、油断せず 四、判断良く 五、決断して 
六、捨て身になって 七、打ち切る 八、残心
'' この考え動作が確実にできるよう心掛けて稽古すること。

※効果的な稽古(二) 
できるだけ一息で連続技が続くようにする。
・腰→足→手の順で打突ができるようにする。
・手元は中心に置き溜めて打てることを覚える。 
・足の捌きは機敏にし、姿勢を崩さないようにする。
・大きく・伸び伸びと・元気良く・真直ぐに打ち込むこと。
※勢いがある打突は姿勢が良くなければ打てません。
''※常に姿勢を意識してみよう。
(つま先・踵・膝・腰・腕・手・指・肩・肘・腹・背中
  ・顔・眼・口・首・耳・顎・頭など)

※自信をつけるための稽古。 
 試合で出せる技で、稽古していない技はない。普段の稽古のなかで打てる技でも出せない場合があるが、その逆はありえない。
したがって、強豪と呼ばれるチームは普段の稽古をがんばっているから試合で勝てるのであって、十分な練習が自信へつながっているのです。相手に負けない根拠はないと思うが、相手に負ける根拠もない。
勝つという気持ちと相手の動きに対応するという集中力が結果を生むのです。普段の稽古を試合以上に真剣に取り組むことが勝つための第一歩です。

※自分が「剣道」を極めようとする時に
 普段の稽古では認識する事が出来ない自分の欠点を、試合の敗北を通じて、確認する事が、さらなる向上のために必要なのです。たとえ自分の勝利と判定されてもなお、自分自身を反省し、問題点や改善できる部分を模索し、勝ちの中に負けを見出す、謙虚さが重要なのです。たとえ実力が自分よりも低い人との試合の中にさえ、自分が成長するためのキッカケを探すことなしには、さらなる向上はないのです。
※剣道の格言で打って反省、打たれて感謝、不思議な勝ちあり、不思議な負けなし、負けることを覚えるなどの奥深い言葉のがあります。

※見取り稽古
 友達が先生に教わっているときに、そばでよく見て勉強することもとても大切です。剣道ではこれを「見取り稽古」といって、友達の良いところ、悪いところを見て、自分の技の参考にすることを教えています。

※二人で行う練習
打ち込み稽古 (面をつけない)
打ち込み稽古は、ふたりで行うと手軽にできます。面をつけない打ち込み稽古は、元立ちが、竹刀、もしくは打ち込み棒を持って、打つ側がそこに打ち込んでいく方法です。また、面だけでなく、ほかの防具もつけないで行えます。竹刀さえあれば、練習できるからです。小手、面の打ち込みは、元立ちがそれぞれ打つ位置に竹刀を横にして持ちます。また、元立ちが竹刀を両手に一本ずつ横に持てば、小手・面の二段打ちの練習もできます。胴の場合は、元立ちが胴を空けてやればいいのです。胴をつけない場合は、竹刀をたてに下げて、打たせてあげればよいのです。 元立ちを何人か並ばせて、面の連続打ちなどの練習をすることもできます。これも一本一本を正確に打っていくことを心がけなければなりません。
 遠い間合からの打ち込みなど、打たせる側の元立ちの裁量で、練習の幅が広がります。 元立ちは、打ち手の姿勢、振り方などを見ながらアドバイスしてあげます。またどんな練習をしたいかを元立ちと相談しながら打ち込み練習をしていくこともできます。

※打ち込み稽古(面をつける)
 打ち込み稽古は、防具をつけると、より実戦的に行うことができます。実際の面、小手、胴に打ち込んでいくので、間合が正しかったのか、あるいは、正確にしっかりと打つことができたかなどを確認するのにもよいし、打った後に体当たりをして、そのまま引きながら打てるという利点があります。したがって元立ちになる人は、体当たりをされても、当たり負けしない人であることが必要です。また、しっかりとしたアドバイスをしてもらえるとよいので、初心者にとっては、指導者かより経験のある人に元立ちになってもらうとよいのです。

※試合で正確な打突を得るのに効果的な練習だけに、特に次の点に注意を払いながら打つことです。
①元立ちとの間合をしっかり覚える。
②元立ちが空けた部位を、その機会を逃さないように機敏に打ち込んでいく。
③打突後の体当たりを、まっすぐ正面から行う(正面であれば、竹刀がまっすぐに振り下ろされている証拠です)。
④試合の時と同じように大きな声を出し、気合いを入れること。

※懸かり稽古(かかりげいこ)
 懸かり稽古は、基本的な打突ができるようになったら、覚えたものをすべて出しきるように、体力と気力の続くかぎり、相手に打ち込んでいくけいこです。相手に打たれてもよいので、正しい間合、姿勢で気合いを込めて自由に打っていきます。さまざまなしかけ技を出していく絶好の稽古でもあります。また元立ちは、正しい打突でなければ、しのいだり、返したりして正しい打突をさせるように促していきます。
 打込み稽古と掛り稽古の相違は、打込みは必ず元立ちが空けて打たせますが、掛り稽古は空けません。
 子供に対しては適当に空けてあげる必要があるでしょうが、掛り稽古は本来部位を空けて打たせるものではないのです。ともかく夢中になって、意気の上がるまで一生懸命打ち込むことが大切なのです。
 厳しい稽古をする目的は、立派な試合に勝つためです。その努力が、人間形成に繋がるのです。
 勝つことは大切ですが、その方法を間違えると人間形成に繋がらなくなります。稽古や試合はあくまでもその手段でなければなりません。
 正しい打ちができるようにするために、正しい切返し、打込み、掛り稽古を絶え間なく練習する必要があるのです。

※互格稽古
 互格稽古は、実戦を想定した動きや技の習得のために行われます。
 実力が互格の者同士が、互いに上達するために積極的に技を試していく稽古で、それだけに一本一本の技の打ち込みを、実際の試合の場と同じような緊張感を持って行うことが大切です。相手の技術が互格であるため、ただ技を出していくよりも、自分の得意技を一歩向上させたい場合や、新しい技の工夫をしたい場合にも役立つけいこです。

※引手立て稽古
 この稽古は「元立ち稽古」とも呼ばれています。元立ちになった先生や先輩方に、自分のよいところを伸ばしてもらったり、悪いところを直してもらったりして、引き立てられながら打ち込んでいくけいこです。この時、指導者側は、以下のようなことに注意してけいこを行います。
①正しい姿勢で気持ちよく打たせて、技をのばしてあげる。
②間合に気をつけて、自らが前後に動いてあげながらきれいに打たせる。
③気合いが入るように、打つ側を激励する。

※試合稽古
 名前の通り、試合を想定して行う稽古です。
 大会の直前に行うことが多いです。したがって審判を立てることがあります。この稽古は、時間なども試合と同じ規則に合わせます。
日ごろの練習の成果を出す意味があります。いざとなると練習してきたことを出せない場合もあるため、反省材料が多く見つかることが多いのです。
 実際の試合に技を生かすためにも、自分の実力を向上させる機会でもあります。

※寒稽古と暑中稽古
 寒稽古は、主に一月や二月などの寒い時期に、連続して行われるものです。
 技術的なことだけでなく、忍耐といった精神的な部分を修行する意味合いが強いのです。また、暑中稽古は、夏の真盛りに行われますが、こちらの目的は精神的な修行だけではなく、技の練習など、技術の向上を目ざして行われることが多いのです。この苦しい時期のけいこを通して、心と体をきたえるのです。

※総合練習
 約束練習で技が身につき、体と竹刀が自由に動かせるようになったら、自由に打ち合って練習し、お互いの技を磨きます。
 練習は試合とはちがいますから、打たれたりを気にしてはいけません。十分に体を動かし、次のことに注意して、練習してください。
(1)基本(これまでに勉強したこと)を守って練習し、打たれたら、「なぜ打たれたか」を考えて工夫します。
(2)姿勢をくずさないように気をつけて練習します。
(3)気力をいっぱいにして練習します。そのために、打つときに大きな発声ができるようにします。

※先生に対する練習
 先生に対する練習はいろいろな練習法の中でもいちばん大切な練習です。とくに次のことに気をつけます。
(1)礼儀正しくすること
 どの先生もみなさんを立派に育てるために自分の体を打たせながら練習してくださるのですから、先生に対して感謝の気持ちを忘れてはいけません。
(2)一生懸命にやること
 先生はみなさんの良いところと悪いところのすべてを知っています。先生の話を素直に聞いて、おっしゃるとおり一生懸命にやることが大切です。

《剣道術理へ戻る》

powered by Quick Homepage Maker 4.91
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional