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*大日本剣道形と昭和天覧試合

*大日本剣道形と昭和天覧試合


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※大日本剣道形と昭和天覧試合
この頃までの剣道家は、依然としてそれぞれの流派を名乗っていましたが、大日本武徳会は将来の剣道の発展のため、流派を超越した新たな基本となるべき形の選定をする必要を感じ、根岸信五郎、門奈正(もんなただし)、内藤高治、高野佐三郎、辻真平らが主査委員となって各流名派の形を取り入れながら検討し、大正元年、大日本帝国剣道形(現在の日本剣道形)が制定されました。
大正から昭和へと時代が移る中で、各種の大会が盛んに行なわれるようになりましたが、戦前までの剣道界でもっとも大きなイベントが、3回の昭和天覧試合でした。昭和4年の御大礼記念天覧武道大会、昭和9年の皇太子殿下御誕生奉祝天覧武道大会、昭和15年の紀元二千六百年奉祝天覧武道大会がそれです。全国の予選を勝ち抜いた府県選士の部と、専門家の中から指名された指定選士の部に分かれて覇を競いました(ほかに特選試合なども行なわれました)。
この3回の大会で日本剣道形を演じた高野佐三郎と中山博道は、この時期剣道界の最高峰として並び称され、それぞれ修道学院、有信館という道場を設けて、多くの人材を育成しました。

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