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*剣道の基礎用語

*剣道の基礎用語


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※剣道の基礎用語

相討ち(あいうち)
双方の有効打突が同時に行なわれること。この場合、双方とも有効打突としない。

相構え(あいがまえ)
相手と同じ構えをとること。相中段や相上段。

合気(あいき)
双方の攻防の気が同時となり、勝敗がつかないこと。
合気をはずすとは、双方の攻防の気が同時となり、勝敗がつかないときそれまでの機会の捉え方や戦法を変えて攻めること。

相抜け(あいぬけ)
お互いに争う気がなければ当たることもないということ。

足がら/足がらみ(あしがら/あしがらみ)
戦後になってルールが整備されるまでの剣道は、武術的な荒々しい側面を残しており、上に乗って相手を押さえ込む(組み討ちという)というようなことが一般の稽古の中でも行なわれていた。足をかけることを剣道では「足がらみ」または略して「足がら」といっている。警察の試合では、戦後も足がらみ、組み討ちが認められており、昭和30年代頃まではよく見られたが、最近はあまり見かけなくなった。

阿吽(あうん)の呼吸
相手と呼吸を合わせること。阿は呼気、吽は吸気であり、万物の資源と究極を象徴している。

上げ小手(あげこて)
相手が上段に構えようと手元を上げた所をすかさず打つもので、普通は模擬小手を指した。
上段に対する左小手を有効打突とする規定の改正により、「上げ小手」が明記されるようになった。「上げ小手とは打突時をのぞき左拳が鳩尾より上がっている場合を言う」

当てっこ剣道(あてっこけんどう)
基本や攻めを無視して、試合で勝つためにスピードだけに頼って打ち合う剣道が、近年とくに若い層に目立つが、そういう傾向の剣道を批判的な意味を込めて、慣用的に「当てっこ剣道」と呼ぶ。ちなみに明治時代から同様の批判はあった。

余す(あます)
相手の攻撃を抜きはずすことで、後方の体を捌いて抜くことを言う。

歩み足(あゆみあし)
日常生活で行う歩行と同じ要領で交互に足を前に出す足運びで、相手との距離があり、送り足では間をつめるのに時間がかかる時に用います。

一眼二足三胆四力(いちがんにそくさんたんしりき)
剣道において大切なものを順番に挙げた教えで、一番大切な眼は目付け、二番目の足は足さばき、三番目の胆は胆力(精神力)、最後の力は実力、技術力のこと。大正期の剣道では、「一眼二早足(さそく)三胆四力」、または 「一眼二左足(さそく)三胆四力」とあり、二番目に左足のすばやい引きつけが重要であるとしている。「左足」は単に「足」のみとなって今日に伝わっているが、この「足」は「左足」を意味している。重要な部分だけに、負担もかかりやすいということだろう。

一足一刀の間(いっそくいっとうのま)
剣先が触れるか触れないかという間合い。
一歩見込めば相手に打突を与え、一歩さがれば相手の打突をかわすことのできる

居つく(いつく)
動作中に動きが一瞬止まった状態になり、相手の動きに反応できなくなること。相手にとっては打突の好機であり、「三つの許さぬところ」のひとつである。

いなす
相手の攻撃を受け流すことで、攻めの気持ちや勢いをなくさせる。

一刀流(いっとうりゅう)
主として一本の刀を使用する流儀で、小野派一刀流や北辰一刀流などがある。

色(いろ)
虚実の虚のことである。相手に隙がない場合に自分の方から虚をもって相手を誘い込むことがある。これを色という。
例えば、面を打つぞという色を示したため、相手がこれを防ごうとわずかに手元を上げた瞬間に小手を打つ技などがある。

陰(いん)
陽に対する語で、表に対する語の裏のこと。体の右側をいう場合もある。

巌の身(いわおのみ)
五輪書」にある言葉で、巌(岩、高く突き出た大きな石)のように少々のことに動揺しない、どっしりとした身構え、気構えのこと。

打ち落とし技(うちおとしわざ)
一刀流の極意切落(きりおとし)から現代剣道に受け継がれた技で、相手の打突を物打ち部分で打ち落とし、そのまま攻撃に転じる技。面打ち落とし面、胴打ち落とし面、突き打ち落し面などがある。相手の胴を打ち落とすのは比較的やさしいが、面打ち落とし面になると、相手の面に対し、相打ちで面にいくような形で竹刀を打ち落とし、それから面を打つという高度な技術が要求される。形稽古などでゆっくりと仕組みを覚え、段階を追って自分のものにしたい。打ち落とすとき、相手の竹刀に乗るように心がけるのがポイント。

打ち込み(うちこみ)
元立ち、あるいは打ち込み台に向かって、打突部位を決めて打つ稽古法。一本打ちだけでなく、連続技、体当たりを含むものなど、多くのバリエーションがある。

打ち込み八徳(うちこみはっとく)
打ち込みの稽古によって得られる八つの効果のことで、「十徳」とする教えもある。千葉周作らに始まる教えで、今でいう「切り返し」は当時の「打ちこみ」という表現に含まれており、切り返しの効果と読み替えて差し支えないだろう。たとえば高野佐三郎は『剣道』の中で、
一、姿勢よくなる
二、身体強壮となる
三、四肢の力増し、動作軽妙自在となる
四、技術快速となる
五、気息長くなる
六、眼明らかになる
七、打ち強くなり、かつ手の内軽く冴え出づ
八、疑懼心をさり心気力を一致ならしめる  の八項目を挙げている。

打ち込み受け八徳(うちこみうけはっとく)
打ちこみ(切り返し)を受ける側の効能についても以下の「八徳」が上げられている。
一、心静かにおさまること
二、眼明らかになること
三、敵の太刀明らかになること
四、身体自由になること
五、体堅固になること
六、手の内締まること
七、受け方明らかなること
八、腕丈夫になること
切り返し受ける側も、ただなんとなく受けていればよいというわけではない。打つ側のより正しい打ち、身体さばきを引き出すような受け方を心がける必要がある。同時にそれが自分の技能向上にも役立つのである。

打太刀と仕太刀(うちだちとしだち)
日本剣道形あるいは古流剣術の形において、技を教える上級者を仕太刀という。先に技をしかけていくほうを打太刀、それに応じて勝つほうを仕太刀ということが多いが、古流の場合は流派によっては他の呼び方をする場合もあり、また希に先にしかけた打太刀のほうが勝つという流派もある。

裏(うら)
北を背にして構えた時、右側(西)を裏という。西は、太陽が沈む側であるため陰ともいう。

遠山の目付(えんざんのめつけ)
相手と対峙したときに、相手の竹刀や打突部を見つめたりしないで、遠い山を望むように、相手の顔を中心に体全体を見なさいという教えです。
追い込み(おいこみ)
道場や体育館の端から端までを移動しながら、面や小手面などの打ち込みを行なう稽古法。復路は元立ちと打ち込むほうが交替するのが一般的である。

起こり(おこり)
一般語で事の始まりをいう言葉だが、動作の始まる瞬間を示すために、接尾語としての「端(動作に入った直後の意)」「頭(その瞬間の意)」とともに剣道ではよく使われる。「起こり頭」「起こり端」といった使い方もされる。相手の起こりは重要な打突の好機である。

送り足(おくりあし)
最も基本的な足運びで、進行する方向の足から移動を開始して、ついで他方の足を移動した足に引きつける動きです。

表/裏(おもて/うら)
中段に構え合ったとき、自分の左側を表、右側を裏という。一般に表を攻めるという場合、相手の表=相手にとっての左側を攻めることで、自分から見ると相手の右側を攻めることである。

鎧袖一触(がいしゅういっしょく)
鎧の袖でちょっと触れる程度のわずかな力で、たやすく相手を打ちまかすこと。たとえば、「優勝候補の筆頭と目されるチームが、1、2回戦で対戦チームを鎧袖一触・・・・・・」というような使い方をされることが多い。

かかり稽古(かかりけいこ)
元立ちの隙を見つけて打突部位に次々に打ち込んでいく稽古法。元立ちは相手の技量に応じて隙をつくって打たせたり、無理な打ちや悪い打ちは打たせずに応じるなどする。運動量があるので、体力、気力を養う上でも効果がある。

かけ声
剣道におけるかけ声は、次のような効果があります。大きな声を出すことにより、自らを励まし、気勢を増し、恐怖の心をなくし、攻勢に出られる。相手に驚きや恐れを与える。無心になることができる。心気力の一致をはかれる。打突の瞬間に声を出すことによって速く、強く冴えた打ちになる。

勝って打つ(かってうつ)
剣先の攻め、心の攻めを駆使し、相手を崩して打つことこそが、理想の打突であるという教え。相手の体を崩し、心を動揺させて「勝てる」という確信を持って技を出すことをいう。

活人剣(かつにんけん)
敵をすくめずして勝つことを活という。新陰流ではあらゆる術理の根本とする。

香取・鹿島(かとり・かしま)
香取神宮・鹿島神宮のことで、ともに武神を祭る神社として尊崇され、武の発祥の地とされている。

下部の三処(かぶのさんしょ)
足の運び、特に足と腰と膝の裏側のひかがみの使い方の重要性を示した言葉である。

構え(かまえ)
中段の構え「常の構え」「正眼の構え」といわれるように、攻防に最も都合がよく、理想的な構えです。
剣先を相手の中心に付け、自然体の姿勢から右足を前に出し、左足をへその前に置き、握り拳ひとつぐらい出すようにします。

気/気勢/気攻め(き/きせい/きぜめ)
「気」という言葉はもともとは中国思想上の概念で、宇宙を支配し、すべての事象の根源になるエネルギー情報をいう。日常何気なく広い意味で使われる言葉で、剣道でもよく気の働きが強調される。目には見えない精神の作用をすべて「気」という言葉で表現していると考えていいが、それはもちろん動作やかけ声などに現われるものだ、精神の充実度が「気勢」であり、充実した精神によって相手を攻めることが「気攻め」である。

下段の構え(げだんのかまえ)
「守りの構え」といわれますが、相手に隙があれば直ちに攻撃に転ずることが可能な構えでなくてはなりません。中段の構えから竹刀を下げ剣先を延長線が相手の両膝の中間に付けるようにします。

上段の構え(じょうだんのかまえ)
「火の構え」といわれる最も攻撃的な構えです。相手の技の起こり頭を一刀で制する気持ちで構えます。中段の構えから竹刀を頭上に上げ両腕が顔の前で三角形を作るようにします。

脇構え(わきがまえ)
「陽の構え」といわれ、相手の出方に応じて刀を長くも、短くも使い分けることができる構えです。中段の構えから右足を一歩引き、手元を右脇に引き寄せ刀の先を水平よりやや下げ、相手に刀の長さを知られないようにします。

気位/気品(きぐらい/きひん)
修業を積み、技術が円熟して精神も充実した結果自然に生じる威風、風格。剣道では「気位」「気品」「品格」といった言葉が熟達度を評価する要素としてよく使われる。高段位では、いくら試合での成績が良くても、気位、気品の欠けた剣道は良しとされない。

八相の構え(はっそうのかまえ)
「陰の構え」といわれ、自ら攻撃を仕掛けるのではなく、相手の出方によって攻撃に変わる構えです。中段の構えから左足を一歩踏み出すとともに左拳を右乳頭部の前に、右拳を口元の高さにします。

気剣体一致(きけんたいいっち)
心の働き、竹刀の動き(技)、体の運び(体力、姿勢)の三つの要素が一致してはじめて有効な打突となるという教えで、有効打突の条件としてひんぱんに使われる言葉。試合規則の有効打突の条文にも、「充実した気勢、適法な姿勢をもって、竹刀の打突部で打突部位を刃筋正しく打突し……」と、この三要素が明記されている。

観見の目付(かんけんのめつけ)
観とは洞察力をいい、見とは物理的に動きを捕らえる目をいいます。両者とも相手の目を見ることが大切とされていす。「目は心の鏡」といわれるように目を見ればその人の心の状態がわかります。また、目を見ることによって相手の身体全体が見えるも
のです。「観の目強く、見の目弱く」という教えもあります。相手を見るのに「目で見るより心で見よ」という意味です。

気合い(きあい)
精神を集中して万全の注意をはらった状態で事に当たること。また、そうした状態から出すかけ声のこと。

気当たり
立ち会いにおいて、相手に活気を発し、相手の当たり、反応を見ること。

気位(きぐらい)
多年にわたる修養鍛錬、技の修練の結果、自分に備わった侵しがたい気品。

気剣体の一致(きけんたいのいっち)
打突の基準となるもので、「気」とは充実した気勢、「剣」とは正しい竹刀操作、「体」とは体さばきと体勢をいう。これらが同時に満たされていることが有効打突の条件になります。

口伝(くでん)
流儀の技やその秘訣を口頭で伝えること。室町時代後期になると、さまざまな流派が生まれ、各流派は独自に必殺技(奥義)をあみ出している。真剣勝負の時代で流派が生き残るためには、強い者を育て、技を引き継いでもらう必要があったので、「一子相伝」など、限られた弟子のみに奥義を授けることも少なくなかった。生死に関わるものだから、技を伝授する際も慎重そのもの。他に漏れないよう、文書ではなく口頭で伝授する必要があったわけである。文書で伝える場合でも、流派の秘技ともいうべき大事な部分については「以下口伝」と記すことも多かったようだ。

機前(きぜん)
相手の一念が発する以前に機先を制して、相手の気勢をくじくこと。

気づくり
立ち会いの前の段階で、気持ちを整えていくことをいいます。武道史上の名勝負といわれるものは、たいてい立ち会い以前に勝負がついていたといわれています。

虚実(きょじつ)
心や構えに隙のできた状態、あるいは隙のある弱いところを「虚」、隙がなく充実した状態、部分を「実」といい、『相手の実を避けて虚を打て』と教えている。この言葉を最初に武術に当てはめたのは、「孫子」と伝えられている。また、相手に隙がない場合、自分から「虚」を示して相手を誘い込むという戦い方もある。この場合の虚を「色」という。 たとえば、「面を打つぞ」という色を見せ、相手がこれを防ごうとわずかに手元を上げた瞬間に小手を打ち込む技などがその典型である。

技癖(ぎへき)
昔から人には無くて七癖と言われるように、各人それぞれ癖のあるものです。剣道でも各人に技術上の大小の悪い癖があるものです。これを技癖といいます。
師から正しい技術を示されても、個性の悪い表れとして、技癖が生まれてくるのであるが、これはその技術を正しく理解し、体得していないためです。技癖は上達を妨げる大きな原因となるもので、技癖を指摘され正しい技術を示されたときは、最も大切な事として技癖を直すように努力しなければなりません。

切り返し八徳(はっとく)
気剣体一致の打ちになる・無駄な力をなくし技の悪い癖を直す・正しい姿勢がとれる・耐久力ができ気息が長くなる・目が明るく間合いを覚える・体力が増進し足腰を強くする・気力が旺盛になる・太刀の返りがよくなる。

虚実(きょじつ)
虚とは相手の守りの弱い状態(守りの薄い)のところ、実とは強いと状態(十分守っている)のところをいいます。実を避けて虚を打てという教えです。
相手の虚実はこちらからの攻め方(誘い方)によっても変化します。その虚実の変わり目を打つことが大切です。

口伝(くでん)
流儀の技やその秘訣を口頭で伝えること。室町時代後期になると、さまざまな流派が生まれ、各流派は独自に必殺技(奥義)をあみ出している。真剣勝負の時代で流派が生き残るためには、強い者を育て、技を引き継いでもらう必要があったので、「一子相伝」など、限られた弟子のみに奥義を授けることも少なくなかった。生死に関わるものだから、技を伝授する際も慎重そのもの。他に漏れないよう、文書ではなく口頭で伝授する必要があったわけである。文書で伝える場合でも、流派の秘技ともいうべき大事な部分については「以下口伝」と記すことも多かったようだ。

組み打ち/組み討ち(くみうち/くみうち)
戦後になってからルールが整備されるまでの剣道は、相手に足をかけて倒す「足がらみ」、竹刀を放り出して戦い、相手を押さえ込む「組み打ち(組み討ち)」など、武術的な荒々しさを残していた。「組み討ち」とは、もともと「戦場で刀を捨て、取っ組み合いで戦って相手を討ち取ること」を意味し、戦場での功績を評価すると同時に、武士たちの誉れともされていた。現在でも、「全力を傾けて事にあたる」ことの例えとして使われることがある。

位(くらい)
ものの等級、優劣、位置などを現わす言葉だが、剣道でも「気位」「品格」などと同じような熟達度、風格を表現する言葉としてよく使われる。

位詰め(くらいづめ)
「位」は高い位で相手を精神的に威圧し、有利な態勢を整えて詰め寄せる(攻める)こと。

組み討ち(くみうち)
今日の剣道では試合規則の禁止行為であるが、以前は相手から竹刀を落とされたり鍔ぜり合いなどの時に、足がらみや組み討ちを行った。

組太刀(くみたち)
相手に勝つための各種の方法を師が弟子に教育するためにその手順を定めて練習させるために組まれた形。

剣心一如(けんしんいちにょ)
剣は人なり、剣は心なりといわれるように剣は心によって動くものであり、剣と心とは一元的のものである。
したがって、正しい剣の修行をすれば正しい心を磨く結果になる。

剣道の理念
「剣道は剣の理法の修練による人間形成の道である」

剣の五徳
正義、廉恥、勇武、礼節、謙譲(けんじょう)

小太刀(こだち)
長い太刀に対して、短い刀をさす。五十~六十センチメートルほどの長さ。日本剣道形でも小太刀の形がある。

後の先(ごのせん)
相手が打ってくる時に、その打突を無効にして、相手よりも先に打つことをいう。

交剣知愛(こうけんちあい)
剣を交えて愛しむを知るという意味。剣道は単に竹の棒で相互に打ち合うものではなく、一度稽古した人には是非もう一度稽古をお願いしたいと思われるような剣道をするように心掛けよという意味。

狐疑心(こぎしん)
狐は疑い深い動物で、狩人に追われたときに逃げ場に困り道に迷っている間に脇に回られて狩人に撃たれてしまうことがあります。このことから、狐のように疑い深く進退の決心がつかないことをいい、剣道における戒めのひとつです。

稽古(けいこ)
日本の伝統的な芸事や武術などの練習という意味で使われているが、古(いにしえ)を稽える(かんがえる)が語源で、古書を読んで昔のことを参考にしながら、物事の理義を明らかにするというのがもともとの意味である。

撃剣興行(げきけんこうぎょう)
明治維新後、直心影流の榊原鍵吉(さかきばらけんきち)が始めた、剣客を相撲のように東西に分け、一組ずつ立ち合わせたイベント。一般に剣術は時代遅れと罵られる時代にあって、当時大いに人気を呼んだが、興行を重ねるにつれ次第に見世物的になり、またたくまに下火になってしまった。

剣居一体(けんいいったい
もともと居合は刀法の一種であって、古流の剣術においてはどこからが居合でどこからが剣道という明解な区分はされていなかった。したがって武士の表芸である「剣道の達人」としての名前は残っても、「居合の名人」としての名はあまり世には出なかったわけである。しかながら、剣道の達人は多くは居合に精通していたといわれている。剣術が発展、分派していく過程で、剣道と居合はその形式を異にしてきたが、もとは一体であったもの。先賢は、「剣道は居合をもって根本となす」「居合を習うことは剣術よりも先にすべし」と語っており、居合と剣道とは技術的にも離すことのできないものなのである。

剣禅一致/剣禅一如(けんぜんいっち/けんぜんいっち)
剣の道と禅は、生死ぎりぎりの場を見つめて修行するという意味で、究極のところは一致するという教え。禅を実践することによって、剣の道を極めようとした剣豪、名剣士は多い。

剣先の攻め(けんせんのせめ)
打ちを出す以前に、剣先同士が交差した状態から、相手の剣先に力を加えたり、間合を詰めたりするなどして、打突の機会をつくるための活動。今でこそ「剣先」という言葉が剣道の世界でも一般的になったが、そもそもは「切先(きっさき)」というのが刀を使った時代の言葉だった。今でも言葉による鋭い攻撃のことを例えて、「追及の切先がこちらに向いてきた」というような使い方をし、その追及を正面から論じ合わないことを「切先をかわした」などという。

懸待一致(けんたいいっち)
「懸」は攻撃、「待」は防御。攻撃と防御は表裏一体をなすもので、攻撃中でも防御をわすれない心構えが大切であるということ。「懸中待、待中懸」「攻防不二」「攻防一如」といった同じ意味の言葉もある。防ぐだけの技術は剣道にはなく、どんな場合でも相手の打ちに応じて、すり上げる、抜く、返すなどして打っていく技が用意されている。現代剣道の伝統的な技術体系が、まさに懸待一致そのものである。

剣道の理念(けんどうのりねん)
「剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である」というのが「剣道の理念」。全日本剣道連盟は昭和46年12月、現代に即した剣道の理念の確立をめざして、剣道指導理念委員会(のちに理念委員会)を設立した。この剣道の理念の制定には、剣道を修行する人たちに指標を掲げ、正しい内容のある剣道が普及するようにという、対内的念願が強く込められていた。それから3年有余の月日をかけて慎重に審議が重ねられ、昭和50年3月20日の全剣連理事会において、「剣道の理念」と「剣道修練の心構え」が可決成立したもの。

剣道形(けんどうがた)
剣道形は各流派のすぐれた技を集め、剣道の技術の中において最も基本的な打突法を組み立てたものです。礼式、構え、間合い、攻め、打突、気合い、残心など、すべての術技ともいえるもので、極めて高度なものであるので初心者はもちろんのこと、上級者も常に形の稽古の修練をすることが大切です。次のようなことが形の効果としてあげられます。正しい姿勢ができ、落ち着いた態度が身に付く。目が明らかになり、相手の動きや気持ちを観察できる。悪い癖が直り、太刀筋が正しくなる。気合いが錬れて気迫が充実する。自分の動作が機敏、軽捷になる。適切な間合いを知ることができる。打突が確実となる。数多く修練することによって、気品や風格ができ、気位が高くなる。

剣道修練の心構え(けんどうしゅぎょうのこころえ)
「剣道を正しく真剣に学び、心身を錬磨して、旺盛なる気力を養い、剣道の特性を通じて、礼節を尊び、信義を重んじ、誠を尽くして、常に自己の修養に努め、もって、国家社会を愛して、広く人類の平和繁栄に寄与せんとするものである」

剣先(けんせん)
竹刀の先端を剣先という。相手ののど元に向いておらず気迫のない構えを「剣先が死んでいる」というように使う。

剣を踏む(けんをふむ)
相手が打ってこようとする時、足でその気勢を踏みつけるような気迫で打つこと。

剣道修行の目的(けんどうがたのもくてき)
剣道は剣の理法の修練による人間形成の道であって、その目的のために行われれば真剣でも木刀でも、あるいは棒きれであっても剣道といえるでしょう。
そして、その理法を研究し、修行鍛錬していくところに剣道の真価が認められ、心身を鍛練することによって偉大な精神、頑強なる身体、崇高なる人格などを養うことが剣道の修行の目的と言えるでしょう。

懸待一致(けんたいいっち)
攻める(懸かる)ことばかりに専念しても、備える(待つ)ことばかりに専念しても隙が生じてしまいます。だから、旺盛な気力とともに、懸かるところに待つ心、待つところに懸かる心がなければならないということです。「懸中待(けんちゅうたい)」
「待中懸」ともいいます。
歩引き、手元を右脇に引き寄せ竹刀の先を水平よりやや下げ、相手に竹刀の長さを知られないようにします。

剣風(けんぷう)
ひと言でいえば剣道のタイプのことで、その人の得意な技の種類、攻め方、姿勢や態度など、あらゆる要素を総合して評されるもの。正剣(姿勢を崩さず、まっすぐに打っていく正統派)、難剣(変則的な攻め技、意表をつく変幻自在な技を出してくるタイプ)、剛剣(豪快でパワーのある、大きな技を特徴とするタイプ)というような表現がある。同じ出身地や出身校ごとに似たタイプの選手が多いこともあり、地方や学校ごとの剣風もよくいわれるが、最近ではそういった差は少なくなってきた。

呼吸(こきゅう)
たとえばヨガや禅などでは、呼吸というものが極めて大事にされている。精神面を重んじる剣道においても呼吸の大切さが強調され、高段位の剣士からは、普段から座禅や日常生活の中で呼吸を意識的に鍛えているという話も聞く。まず大切なのは胸でなく腹を使って大きく呼吸を行なうこと(腹式呼吸)。また、息を吸う時間を短く、吐く時間を長くすることも大切で、息を吸った瞬間に体が居着くということがよく言われるが、だからこそ、息を吸う時間を短くする必要がある。かかり稽古が重要である理由のひとつでもある。

五せい眼(ごせいがん)
「せい眼の構え」の「せい」の文字にはいくつかの文字が当てられ、代表的なものとして「正」「晴」「青」「星」「臍」の五つの文字がある。その五つの「せい眼」を総称して現在では「中段の構え」と呼んでいるが、本来は五つの文字使いそれぞれに違いがあった。要するに、自分の剣先を相手のどこにつけるかという違いで、「正眼」の場合は剣先を相手の咽喉につけるという意味を含んでいる。以下、「晴眼」の場合は相手の両眼の中間に、「青眼」は相手の左眼に、「星眼」は、天上の星になぞらえ相手の顔の真中に、「臍眼」は相手の臍(へそ)につける、ということを表わす。

小判柄(こばんつか)
竹刀の柄部分の断面が隋円形になっているタイプを、小判柄の竹刀という。一番の良さは刃筋を意識し、刃筋の立った打ちができることで、竹刀の手の内で回ってしまうクセがある人や、初心者で正しい握り方がわからない人に効果がある。

冴え(さえ)
打突の冴え、手の内の冴え、というように使われることが多い。言葉で表現するのはむずかしいが、手や体全体が正しく働くことによって生まれる瞬間的な力、働きのようなもので、他のスポーツで「シャープ」と表現される内容に近い。つまり、効果的かつ合理的で、小気味いいことである。
「技に冴えがある」「冴えのある打ち」などといわれますが、冴えた動作とは、合理的で無駄のない状態をいい、科学的にエネルギーが最も有効に使われた動作を感覚的に表現した言葉です。したがって、無駄な打ちをだしたり無駄な所作が多ければ決して冴えているとはいえません。構えているときは力を抜き、打突の瞬間に必要な筋肉を緊張させ、気剣体の一致した動作が必要です。

刺し面(さしめん)
左手にて竹刀の柄頭を繰り出し、右手で竹刀を相手の頭上に乗せるようにして打つ技である。
手だけ伸ばして振りかぶる角度を小さくし相手の面にチョコンと触るような面の打ち方が、木の上の鳥を鳥餅のついた竿を使ってスッと捕まえてしまう様子に似ていることから、もともとは鳥刺し面といわれた。刺し面は幕末の頃から流行だし、明治の末年頃にはかなり広く使われていたようだが、しっかりと切るという姿勢に欠けた技であることから、あまり良しとはされなかった。かつての大日本武徳会では、「そうした面は一本とは認めない」というような規定さえ設けたという。今も速く打つ面のことを刺し面ということがあるが、ただ速く打つ面とは少しニュアンスが異なるようだ。

三角矩の構え(さんかくくのかまえ)
中段の構えのポイントを教えたもので、眼、腹、剣先の三角形の矩をはずさないように構えることをいいます。この教えは山岡鉄舟が考え出したものです。

三功一致(さんこういっち)
相手を攻める技を出すための三つの道具(切先、身体、気合)が一致する事が大切で、錬磨によってのみ得られる。

三殺法(さんさっぽう)
相手の竹刀を殺し、技を殺し、気を殺して打突することです。竹刀を殺すとは、相手の竹刀を抑えたり払ったりして竹刀の自由に使わせないことをいいます。技を殺すとは、先を取って相手に攻撃の機会を与えないことをいいます。気を殺すとは、充実した気力を持って相手の気を崩して攻めることをいいます。
相手の竹刀、技、気を殺して打突の機会をつくるという教え。竹刀を殺すというのは、相手の竹刀を押さえたり、払ったりして中心をはずさせて、自分が打ち込む隙をつくることをいう。また技を殺すとは、つねに先をとって攻め、相手に技を出す余裕を与えないようにしたり、相手の技に応じて返したりすること。そして気を殺すとは、いわゆる気攻めで相手の気を崩し、打突の好機をつくることを表わす。

残心(ざんしん)
打突の後少しも油断もなく、その後の変化に直ちに応じられるような心構えをいいます。

三磨の位(さんまのくらい)
剣道には「習い」「稽古」「工夫」の三つの要素が大事であり、これを一体的に磨くことをいう。

四戒(しかい)
驚懼疑惑(きょうくぎわく)、または驚恐疑惑(きょうきょうぎわく)の四つ。勝負では平常心を保つことが大切で、心がこの四つの状態に陥ってはいけないとされる。「驚」は予期しない相手の攻撃に驚くこと、「懼(恐)」とは相手の攻めや雰囲気にのまれて恐れること、「疑」は自分の力や攻めが通じないのではないかと疑うこと、「惑」は疑と似ているが、自分の攻め方が決まらなかったり、相手の動きが読み切れずに迷うことである。

地稽古(じげいこ)
お互いに互角の立場で、試合のように自由に打ち合う稽古法。互格稽古、あるいは単に稽古という場合もある。

止心(ししん)
注意が一つのものに停まってしまうこと、「居つく」ともいって、相手から打突されやすい心の状態です。
心がひとつのことに止まるということ。心があるひとつのことに執着してしまい、他の方向への注意力が働かないことをいう。たとえば、相手を打とうとして、そのことばかり気がいってしまい、相手が出ばなを狙っていることや体全体の変化に気がつかないこと。剣道では隙ができた状態として戒められる。逆に相手にとっては好機となる。

下を攻める(したをせめる)
剣道の攻め方にはさまざまな方法があるが、「下を攻める」というのもそのひとつで、剣先を下げて攻め込むことで相手の意表をついたり、心理的な動揺を与える効果を持っている。下を攻め、相手がその剣先の動きにつられて竹刀を下げたところに、突きや面を放つ、あるいは急所を狙われたような感覚 で本能的に後退したところを追い込んで打つ。いずれにしても、ただ剣先を下げるのではなく、強い攻めの気持ちを持たなければ意味ががない。中途半端な攻め入り方をすると、逆に面に乗られたり突かれてしまうので、気力を振り絞り、思い切って下を攻めることが大切。

自然体(しぜんたい)
自由に動けるバランスのとれた姿勢。体の力を抜いて、足を少し開く。

仕太刀(したち)
日本剣道形では、師(打太刀)に対する弟子の位を示す。習う立場で、常に打太刀の打ち終わった後に打っていく。

上段の構え(じょうだんのかまえ)
頭に上げた両腕の聞から相手を見下ろすように威圧感を与える構え。諸手左上段では、左足を前にして右拳を額のところまで上げ、左拳は左足の真上の位置になっていること。

直心是道場(じきしんこれどうじょう)
純一無雑な素直な心で剣道を学び、剣道以外の日常生活の様々な出来事も剣道ならどうするかと考え、少しの間も剣道から離れることなく修行する事。

撓競技(しないきょうぎ)
第二次世界大戦の敗戦後、剣道存続のために考えだされたのが撓競技である。これはシャツ、ズボンに簡単な防具をつけ、袋竹刀を使用してポイントを競い合うもの。スポーツとして誕生し、全国大会が行なわれたり、オープン競技として国体に参加するなど、剣道復活の足がかりとなった。

守破離(しゅはり)
剣道に限らないが、修行の段階にはこの三つがあるという教えがある。「守」は教えを忠実にまねる段階、「破」は守の段階で學んだ基本に自分なりの工夫を加えたり、自分にあった形で消化する段階、「離」は形にとらわれず、悟りきって自由の境地に達した段階をいう。

撞木脚(しゅもくあし)
右足前の構えで、左足の爪先が前方を向かず、外(左)向きに開いている状態。初心者が陥りやすい悪い足構えの代表的なもの。

鎬(しのぎ)
刀の刃の部分ではなく、たてにやや高くなった腹の部分をいう。
刀の刃と峯(棟)の中間(側面)にある肉厚部分の線。刃を下にして構えたとき、左側を表鎬、右側を裏鎬という。刀を扱う場合、鎬と反りの作用が技術の上で重要だが、竹刀を扱う場合でも、その作用を意識して技を使うように指導される。

心気力一致(しんきりょくいっち)
心とは、観察力(敵の心の働きを観る力、いわゆる心眼)・不動心(敵の動きにまどわされない心のすわり、平常心)、気とは集中力 いつっち)(精神エネルギーを集中させる力)・制圧力(敵を気で圧倒し、その心身の動きを制圧する力)、力とは、瞬発力(敵の変化に対応する業の力)・智力(戦いを有利に導くためのかけひき)

地(じ)
一般に使われる言葉で、基本的、本質的なもののことをいい、「地力」といえば本来の実力のことだが、剣道では見せかけや偶然ではなく、スピードや体力だけでもない、真の実力がついてきたことを「地ができてきた」などと表現することが多い。

水平切り返し(すいへいきりかえし)
乳井義博(輝)という剣道家が教えた「水平切り返し」という稽古法。宮城県内の強豪・小牛田農林高校の名物稽古となり、その名を広く知られるようになった。普通の切り返しが正面に対し45度の太刀筋で打つのに対し、水平切り返しは、90度の太刀筋で打つ。胴打ちなどに必要な手の内の返しが身につくほか、手首、肩、肘などの関節が柔軟になる、手の内の冴えを会得しやすい、背筋、首筋を充分に伸ばさなくてはならないので正しい姿勢が身につく、などの効果がある。平打ちにならず刃筋の通った打ちになるよう、大きく正確に行なうのがポイント。

捨て身(すてみ)
身を捨てたときこそ、はじめて浮かび上がってくる機会があり、相手の隙を見るやいなや、蹲踞することなく身を捨てて打ち込んでいくことにより、勝ちを得ることができます。

素振り(すぶり)
竹刀や木刀を持ち、上下、斜めなどに振る動作で、大きく正確に行うことが大切です。竹刀操作や刃筋を知り、打突の基礎を体得するために行います。

すり足
かかとを少し浮かせて、床をすべらすようにする足の運び方。

正眼の構え(せいがんのかまえ)
相手の顔の中心(眉間)を見ながら、自然体で竹刀を構える。

正中線(せいちゅうせん)
鼻・へそなどを通る、体のまん中をたてに割った線。

静中の動(せいちゅうのどう)
静かに相手を観察する中にも心が停滞することなく、機熟せば直ちに激しい動きに転じることができる心の準備が大切という教え。動中の静の反意。

殺人刀(せつにんとう)
柳生石舟斎宗厳の工夫公案書に「当流に構える太刀を皆殺人刀と言う。構えのなき所をいずれも皆活人剣と言う。また構える太刀を残らず裁断して除け、なき所を用いるので、其の生ずるにより活人剣と言う。」とあり、敵をすくめて勝とうとすることを殺としている。

先(せん)
先には次の三つの先があります。
先の先(先々の先):相手の思惑を素早く察知して、相手が動作を起こす前に打つことをいう。
対の先(先):相手の思惑までは察知できないが、打突してくる起こり頭をとらえることをいいます。

後の先(待の先)(ごのせん)
相手に「先」を仕掛けられて、それに応じる場合をいいます。

相殺(そうさい)
貸し借り・損得など相反するものを差し引きしてゼロにすること。試合で双方が同時に二回の反則を犯して双方が負けとなる場合に二回目の反則を反則として数えないこと。

蹲踞(そんきょ)
けいこや試合前後に行う体勢。低い位置に身を置いて、相手に礼を示す。

体当たり(たいあたり)
相手の気をくじき、体勢をくじき、相手の構えが崩れたところをすかさず打つために行うものであって、相手を倒すことのみを考えてするものではない。したがって、体当たりは踏み込んだ勢いを下腹部に集中し、竹刀の柄と柄を交差させるようにして腰で当たることが肝心で、腕で押したり、頭から突っ込むのは体当たりとは言わない。

大強速軽(だいきょうそくけい)
初心者指導の要諦は「大きく正しく」ということで大強速軽はその上達への過程を教えたものである。最初は大きく振りかっぶって強く正しく打つ。そのうちに技もだんだん速くなり、無駄な力がなくなり次第に軽妙になり、冴えのある立派な剣道になる。

帯刀(たいとう)
刀を腰にさすこと。竹刀を腰に当てること。

打突の好機(だとつのこうき)
打突すべき次のような機会を指します。
一)起こり頭
出頭、出鼻ともいい動作を起こそうとする瞬間。
二)受け止めたところ
相手が自分の打突を受け止めた瞬間。
三)居着いたところ
心身の活動がにぶり、動きが一時停滞した瞬間。
四)退くところ
相手が攻めに屈して退こうとした瞬間。
五)技の尽きたところ
相手の技が一時中断し、体勢を整えようとする瞬間。
特に一)・二)三)を「三つの許さぬ所」といいます。

溜(ため)
技を発する場合、心においても体においても余裕を持ち、気の充実をはかり臍下丹田に気を張り巡らしてから技を出すことが肝心である。気の充実のないところから出した技は、相手にその起こり頭を押さえられ、相手の誘いに簡単に乗ってしまうことにもなるので稽古で十分練る必要がある。

丹田(たんでん)
丹田とは臍下丹田といい、へそと恥骨の腹中にあり、東洋の身体論で、心身の活力の源である気の集まる所と言われる場所で、そこに力を入れることによって、腹のすわった姿勢が保たれ、心の動揺も抑えられるという教え。

中段の構え(ちゅうだんのかまえ)
剣道の基礎になる構えで、主に相手ののどに剣線を向ける。相手の動きにすばやく対処できる。

智仁勇(ちじんゆう)
何が正しいかを識る意の「智」、相手を理解する、相手の立場になってものが考えられる慈愛の心を「仁」、そして勇気をふるって打ち込む「勇」、この智・仁・勇が渾然一体となったものが剣の道である。

対の先(ついのせん)
相手が先を取って動作を起こすと同時に、こちらも先に動作を起こすことを言う。

継ぎ足(つぎあし)
後ろ足を前足に引きつけ、前足から前進する足運びで、相手との距離が遠くて打突が届かないとき、間を盗んで大きく踏み出すために用います。

付ける(つける)
付くようにする。剣先をある方向に向け、相手の動きを制したり、攻撃に対応するための準備体勢を整えること。

手の内(てのうち)
竹刀の握りと教える場合がありますが、手の内とは竹刀を操作する掌中の作用であり、両手首・両手の指を最も効率的に使う動きのことをいいます。

動中の静(どうちゅうのせい)
激しい攻防の中でも冷静に相手の状況を判断することが大切であるという教え。

刃筋(はすじ)
刃物でものを切るとき、加える力の方向と刃の方向が一致することが大切である。打突の際には常にこの刃筋を正しく操刀する事が大切である。

八相の構え(はっそうのかまえ)
「陰の構え」といわれ、自ら攻撃を仕掛けるのではなく、相手の出方によって攻撃に変わる構えです。中段の構えから左足を一歩踏み出すとともに左拳を右乳頭部の前に、右拳を口元の高さにします。

半身(はんみ)
身構えた時に、体の左右いずれかを前に向けた状態のこと。

百練自得(ひゃくれんじとく)
芸事はすべてを見聞きして身につけるものではなく、失敗や成功を重ねて多くの経験の後に身寿から自ら身に付くものであり、不断の努力が大切であるという古人の教え。

平打ち(ひらうち)
竹刀の左または右側で打つ刃筋の正しくない打ち方のこと。
開き足(ひらきあし)・・・相手の打突を、身体を左右にさばいてかわすのに用います。
竹刀の刃筋部ではなく、左右の腹の部分で打つこと。有効打突の定義に「・・・・・刃筋正しく打突し・・・・・」とあるように、刀でいう刃が立っていない状態である平打ちは、一本として認められない。

開き足(ひらきあし)
左右にさばく足遣いをいう。現代剣道は跳び込み技、ひき技に見られるように、前後への直線的な動きが主体となっているが、横へのさばきを身につければ技は格段に広がる。相手の太刀をよけるのに首や体を曲げるのではなく、姿勢はそのまま、足でさばけば応じ技も広がるわけである。

平常心・不動心(へいじょうしん・ふどうしん)
特別な事態に臨んでも、普段のとおり平静である心をいう。柳生新陰流の伝書の中では、「何もなす事なき常の心にて、よろづをするとき、よろづの事、難なくするとゆくなり」と説かれ、さらに「此の平常心をもって一切の事をなす人是れを名人と云うなり」と、平常心は名人の境地であるとしている。普段の心の状態を平常心といい、どんな状態でも平常心を持ち続ける、心が動かない状態を不動心といいます。どんなときでも自分を見失わない心は、実力を発揮するために大切です。

放心(ほうしん)
ふつう「放心」というと、心がぼーっとしてまとまりのない状態をいいますが、剣道でいう「放心」とは、どんなことにも対処できるように、心をとき放ち、何ものにもとらわれない心をいいます。
心が何者にもとらわれず、どんな変化に対してもただちに察知して反応できる状態で、剣道の試合中にはこのような心の状態を保つことが必要とされる。一般に言う放心は、何も考えず注意力を失ったというような意味だが、剣道では最も理想的な心の状態を指している。

間合(まあい)
相手と自分との距離感
一足一刀の間合い」とは「常の間」と言い、一足踏み込めば相手を打突できる距離で、ふつう両者の剣先がわずかに交差する程度です。この間合いから近くなったのを「近間」、遠くなったのを、「遠間」と言います。
相手を打つために「一足一刀の間」になることを、「打ち間に入る」、「自分の間に入る」などといいます。また、距離的にも技
術的にも相手と絶縁して相手が打ってこられない状態を作ることを「間合いを切る」と言います。

臍下丹田(せいかたんでん)
東洋医学上の概念で、臍(へそ)の下、下腹部にある気の流れの要。ここに気がこもることによって精神が充実し、力を発揮できると考えられており、剣道だけではなく、各種武道でその働きが重視されている。単に丹田ともいう。

正剣(せいけん)
慣用的な表現であるが、姿勢を崩さず、基本に忠実で変則的な技を使わない正統派のオーソドックスな剣風をいう。

正中線(せいちゅうせん)
自分の体の眉間、喉、臍(へそ)を結んだ左右中央の線。剣道の太刀筋は、原則として左拳はつねにこの線上にあり、正面打ちはこの線上を竹刀が移動するなど、剣道の基本を学ぶにあたって重要な概念である。線と考えるよりも、体を左右真っ二つに分ける面と考えたほうが理解しやすいかもしれない。

先/三つの先(せん/みっつのせん)
先(せん)とは、相手の機先を制して勝つ機会のことをいい、三つの先とはもっとも効果的な勝つ機会を指しているが、単に動作の上のことだけではなく、精神的な要素も含んでいる。三つの先については、流派、出典により分け方や説明の仕方が異なり、五つ、あるいは七つの先をあげている例もある。最も一般にいわれるのは、「先々の先」「先前の先」「後の先」という分類。これは一刀流に基づく考え方で、「先々の先」とは、相手の打突を予測し、そこに生じる隙を打つ機会のことで、出ばな技がこれに当たる。「先前の先」は、相手に隙が生じたところを打つ機会のこと。
出ばな技以外のしかけ技、基本的な跳び込み技、払い技など。「後の手」の機会で打つ技には、相手の打突を外してできる隙を打つ機会で、返し技、抜き技、摺り上げ技など、応じ技がこれに当たる。その他、「先の先」「対の先」「後の先」という分け方も一般的である。

対勝負(たいしょうぶ)
団体戦の試合形式で一般的な先鋒同士、次鋒同士というように、それぞれ戦って勝利者数を競う形式。対試合ともいう。3人制、5人制、7人制などが一般的だが、学校同士の対抗戦など、20人~30人以上による対勝負も行なわれている。

立ち切り試合(たちきりじあい)
何人かの元立ちを決めて、残りの者が入れ替わり立ち替わり元立ちと対戦する荒稽古。元立ちは決められた時間中は休む暇がないので、気力を養ったり、無駄な力を使わないで正しい打突を身につけたりするのに効果があるといわれている。古くは山岡鉄舟の課した立ち切りが有名だが、ここ数年の間にとくに盛んになってきた。

打突の機会(だとつのきかい)
明治の末から昭和初期した剣聖・高野佐三郎は、打つべき好機の主要なものを六つを示し、とくに「三つの許さぬところ」として
一、敵の起こり頭
二、敵の受け留めたるところ
三、尽きたるところ
を挙げ、これを逃すべきでない好機としている。そして「奥義に達すれば、心は明鏡止水の境地に達し、敵に隙があれば、その瞬間ただちに手足が動いて、とっさに勝ちを制することができるようになるのだが、通常の人は、最も適当な好機に乗じて打つことを鍛錬する必要がある」と述べている。
打突部(だとつぶ)
その部分が相手の打突部位に正確に当たれば有効打突となる、竹刀の「物打ち」を中心とした部分。以前の試合規則では竹刀の先から3分の1の部分とされており、原則的にはそう考えてよいが、たとえば胴技の場合はもっと竹刀の鍔元に近い部分からひいて切るような形になり、打突部位、体勢に応じて柔軟にとらえる必要がある。

打突部位(だとつぶい)
そこに正確な打突が当たれば有効打突となる部分。面、小手、胴、突きの4カ所。

茶巾絞り(ちゃきんしぼり)
竹刀の握り方を教える場合に、「茶巾絞りのようにせよ」という例えが昔からよく用いられる。茶巾とは、茶道で茶碗を拭く布のこと。

出足(であし)
文字どおり出る足のことで、相手の以後着に対する反応の鋭さと結びつく。たとえば、出ばな技は相手が動作を開始する直前をとらえるわけだが、成功するかどうかは、その瞬間の出足の遅速、あるいは出足の良し悪しに関わってくる。また、相手が引いたところをすかさず打つにしても、出足の早さがモノをいう。遠間から虚を突くように打ち込んだり、遠間から素早く間合に入り込むような技術も、鋭い出足は足腰を鍛えることで磨かれる。脚筋肉の収縮速度を速めることを重視したトレーニングがもっとも効果があるといわれている。

手の内(てのうち)
竹刀を操作するときの両手の働き(握り方、力の入れ方、ゆるめ方など)。打突の瞬間に絞るようにするなど、さまざまな教えがあり、重要な技術要素である。名人は左右五本ずつの指を自在にゆるめたり締めたりして、巧みな竹刀さばき、冴えた打突を生み出している。

道場(どうじょう)
本来は仏教から来た言葉で、釈迦が悟りを開いたところである「菩提摩頭那(ぼでいまどな)」の訳語。のちに、寺などの法が説かれる場所を道場と呼ぶようになり、鎌倉時代には芸道の世界でもその修行をする場所を示すようになった。しかし武道においては、江戸時代初期の文献に見ることができるものの、剣術の練習場が充実する江戸中期でも一般的には稽古場などと呼ばれていた。現在のように剣道や柔道の稽古場として「道場」と称するようになったのは、明治時代も末期のこと。

中墨(なかずみ)
中墨とは大工(だいく)の用語で、墨縄(すみなわ)でつくる中央線のこと。剣道でいえば、相手の正中線のことをいい、昔から「中墨をとれ」「中墨をはずすな」というのは、「中心をとれ」「中心をはずすな」ということを表わす。「中墨」は、小野派一刀流の極意剣であり、柳生流ではそれを「人中」(じんちゅう)といって、やはり大切な教えとしている。相手からどんなに攻撃されても、中墨をとって剣先に狂いがなければ打たれることもない。中墨をとる工夫も人それぞれで、右拳でとるように心がける人、左拳でとるようにしている人など、さまざなま話を聞く。

中結(なかゆい)
四本の竹を合わせた竹刀は、柄革と先革で両端が固定されているが、その間に竹がばらけないよう革紐が巻きつけられている。これが中結で、物打ち付近のほぼ決められた位置に固定しなければならないが、よく試合中にズレてしまって審判員に注意を受ける光景も目にする。中結が動かないようにする工夫として、弦のちょうど良い位置に結び目をつくり、その結び目に固定するように巻くという方法がある。種類は大きく分けて2種類。吟付(ぎんつき)というツルツルした「表皮」のある皮か、「床革(とこがわ)」という表裏がザラザラした革でつくったものがある。

難剣(なんけん)
慣用的な表現ではあるが、よく使われる言葉のひとつ。まっすぐで基本に忠実な、素直な剣風ではなく、変則的な攻めや技、意表をつく変幻自在な技を出してくるタイプをいう。表記としては「難」「軟」の両方の字を見かけるが、後者は剛剣に対するもので、力で攻めてくるのではなく、相手の技をかわしながら自由自在に技を出してくるような柔軟なタイプといったところで、難剣とはややニュアンスが違うかもしれない。

抜き勝負(ぬきしょうぶ)
団体戦の試合で、買ったものが残って、負けるか引き分けるまで、次々に相手側の選手と戦い続ける形式。勝ち抜き戦、抜き戦ともいう。抜き勝負では、不戦者が出てしまうという難点があるが、何人も連続で抜いてしまう選手が登場するというおもしろさがあり、玉竜旗高校剣道大会などで採用されている。

刃筋(はすじ)
刀の刃の通る軌道、道筋、方向のことで、竹刀では弦の反対側が刃にあたる。「刃筋が立つ(通る、正しい)」とは、刃の部分が正しく垂直に相手に向かっていって当たることをいう。つまり真剣なら切れるような形で当たることで、竹刀の場合でもそのように当たることが有効打突の条件となっている。

肚(はら)
広辞苑に「はら【腹・肚】」とあるように、基本的には「腹」と同意。剣道用語としては、「腹」の場合は「おなか」という意味合いが強い場合に用い、「肚を練る」「肚に気をためる」など、臍下丹田を指したり、心のありようを示す場合には「肚」の文字を使うことが多い。「肚」は「と」とも読み、「心の中」という意味の「肚裏(とり」「肚裡(とり)」といった言葉もある。

張り技(はりわざ)
払うよりもより強く叩く感じで、相手の構えを崩すのが「張り」。強く張るコツは、腰を入れて気合充分に、張る前は手の内を柔らかく、張った瞬間に手の内を上手に締めて張ること。また、相手の竹刀の先を張るよりも、相手の剣先を中心からより遠く外すために、手元から中ほどまでの間を張るとよい。

膕(ひかがみ)
膝の裏側のことで、跳躍のバネになる部分としても剣道では非常に重要な役割を負う部分。古流の心形刀流では「下部の三処(みどころ)」といい、足と腰と膕の鍛錬とその使い方が極めて大事にされている。剣道では「膕に力を入れよ」と言われるが、その意味はパンと張れということではなく、力は入れつつも硬直せずに多少のゆとりをもたせないということである。

引き揚げ(ひきあげ)
打突後に残心がなく、相手から下がって縁を切る動作。その際に大見得を切るような行為には、昭和62年に改正になる前の試合規則では、「見苦しい引き揚げ」とされて、有効打突を宣告した後でも取り消すとされていた。現在では条文にはないが、扱いは同じである。

引き立て稽古(ひきたてげいこ)
指導者(高段者)が弟子(初心者)の技を伸ばすために行なう稽古法で、正しい技を会得するために行なう稽古のこと。

百錬自得(ひゃくれんじとく)
同じことを百回(それぐらい多く)反復して行なえば、自然に身につくという教え。それくらい繰り返して行なわなければ、本当に自分のものにはならないという意味である。かつての剣道の修業はこの精神に則って、理を説くよりもひたすら繰り返して身に着けさせる方法が主流だったが、現在でも一片の真実がある言葉だ。

平晴眼(ひらせいがん)
とくに上段に対する構えとして使う選手が多い。剣先をやや右に開き、上段の相手の左小手につける。利点は、上段からの小手の攻めを予防できること、また、上段から振り降ろされてもすり上げ技などがしやすいことなどがある。注意しなければならないのは、遠間になったとき、右腕を伸ばし切らないこと。伸ばし切ってしまうと打突のときに余計な動作が必要になり、素早い反応ができない。また上体を前傾させると、すばやく間合に入ることはできても打突にはつながりにくくなる。

間合(まあい)
明治の名剣士、三橋鑑一郎が「剣道は間合と気合の争いである」と表現したほど、間合は剣道において大切な要素。この間合には、一歩踏み込んだら相手を打てる距離である「一足一刀の間」、それより遠い「遠間」、それよりも近い「近間」がある。「一足一刀の間」は、だいたい互いの竹刀が剣先から 5~10 センチで交わる距離だが、個人の体型や技量によって違ってくる。多くの先人たちは、稽古によって自分はこの間合からなら打つことができる、この間合では打てないという
「自分の間合」を知ることが大切であると説いている。

枕のおさえ(まくらのおさえ)
現代用語で言えば出鼻打ちのことです。人が立ち上がれば強力な力を発揮しますが、立ち上がろうとしている。まさに枕から離れようとしている瞬間は少しの力で押さえることができます。小の力で大の力を押さえられるということです。面のメ、小手のコの字を打てという教えもあります。

待ち剣(まちけん)
自分からしかけていくよりも、相手がしかけてくるの待って応じ技でさばくことが主体の剣風。攻めを身上とする剣道ではやや否定的なニュアンスで使われることが多い。

三つの先(みっつのせん)
先(せん)の項参照。三つの許さぬところ(みっつのゆるさぬ ところ)打突の好機(だとつのこうき)の項参照

見取り稽古(みとりけいこ)
ばくぜんと見学するのではなく、他人の稽古や練習態度、得意技などを研究しながら、よい点は取り入れ自分の剣道に役立てて行くように見学することを言います。自分が防具を付けて稽古をしているときでも、常に見取り稽古を心掛けなければいけません。
他の人の稽古や試合を見て学ぶこと。剣道においては、すぐれた技や剣風、あるいは一本を評価できる「眼」も重要な技能であり、その意味でも見取り稽古は重要視されている。

峰(みね)
刀の背の部分で、竹刀でいうと弦の側。

武者修行(むしゃしゅぎょう)
武士が諸国を廻って武芸の修行に励んだのが武者修行。その始まりは室町時代の中頃からといわれいる。その後、江戸時代初期にかけて盛んに行なわれたが、他流試合が禁止されたのをきっかけに、次第に武者修行も下火になった。第二次ブームの到来は、天保(1831~44)の頃から幕末にかけて。北辰一刀流の千葉周作も、明治維新に活躍した桂小五郎も、武者修行をしなかったらあれだけの有名な使い手として歴史に名が残らなかったかもしれない。明治、大正時代に名を残した剣士も、ほとんど全員が実践している。

無心(むしん)
何かをしようとする心の無いこと。

無念無想(むねんむそう)
よけいな事を何も考えない様子。

明鏡止水(めいきょうしすい)
心の持ち方を教えた言葉で、心が曇りのない鏡や、おだやかで静止した水面のような落ち着いた状態であれば、相手の隙がこちらの心に映るようにわかるものであるという意味。無心の境地を説いている。
自分の心は明らかな鏡で止まる水のように澄み切っていれば、相手の隙が自然に自分の心に映るということです。

目付(めつけ)
剣道では「一眼二足三胆四力(いちがんにそくさんたんしりき)」ということばがあります。「眼」は洞察力、「足」は迅速な足さばき、「胆」は度胸、「力」は単に物理的な力ではなく、一、二、三、の要素を含む力をいい、修行の重要度を教えた言葉です。遠山の目付・観見の目付も参考にしましょう。

黙想(もくそう)
明治三十年頃から始められた形式である。剣道で行う黙想は禅僧が行う結跏趺坐(けっかふざ)をして法界定印(ほうかいていいん)をとる黙想の作法とは異なり、正座のまま法界定印のみをとる黙想を行うものである。

元打ち(もとうち)
打突部位を竹刀の物打ち部でなく、元のほうでとらえている有効ではない打突。
元立ち(もとだち)
打ち込みやかかり稽古などで、打突を受ける側の指導者、上級者。地稽古の場合も、段位や経験の違うもの同士が行なう場合は、上級のものを元立ちという。「元に立つ」という使い方もする。

元立ち(もとだち)
稽古では、打つ側に対して打たせる側がいる。それが元立ちで、相手の技量をのばすように心がける。
打ち込みやかかり稽古などで、打突を受ける側の指導者、上級者。地稽古の場合も、段位や経験の違うもの同士が行なう場合は、上級のものを元立ちという。「元に立つ」という使い方もする。

物打ち(ものうち)
刀身の中で、最も切れる部分のことで、切っ先より10センチほどのところのこと。刀に置き換えた場合は剣先より中結いまでの間のこと。

諸手(もろて)
両腕のこと。

有構無構(ゆうこうむこう)
構えは、あってないのと同じで心の闘いが最終的には勝敗を決定するものだという意味です。

理業一致(りぎょういっち)
理は理合いであり業は技である。剣道を学ぶには理に偏ってはいけないし、技ばかりに片寄ってもよくない。理と技とを一元的に修練するのが理業一致である。

脇構え
「陽の構え」といわれ、相手の出方に応じて竹刀を長くも、短くも使い分けることができる構えです。中段の構えから右足を一歩引き、手元を右脇に引き寄せ竹刀の先を水平よりやや下げ、相手に竹刀の長さを知られないようにします。

約束稽古(やくそくけいこ)
しかける技とそれに応じる技をあらかじめ決めて行なう稽古で、日本剣道形や古流の稽古がこれに当たる。

有効打突(ゆうこうだとつ)
全剣連の『剣道試合審判規則』では、その条件を「充実した気勢、適正な姿勢をもって、竹刀の打突部で打突部位を刃筋正しく打突し、残心あるものとする」と定めている。実際にはこの条文にない他の要素も含み、経験によって理解度が増していくものといえる。

理合(りあい)
技の理論や意味、理(ことわり)。とくに形稽古においてその動作がどういう状況を設定していて、なぜ勝つのかといった内容を指していうことが多く、動作ができていても理合を知らなくては意味がない。

理業兼備(りぎょうけんび)
北辰一刀流の千葉周作用いた言葉で、理合を考えながら稽古することの大切さを説いている。千葉周作の遺稿には「考えては稽古をなし、稽古をなしては理を考え、必死に修行すべし。理業兼備は車の両輪の如し」というくだりがあり、さらに続けて「ゆえに理業兼備の修行、日夜怠慢なければ十年の修行は五年に終り、上手、名人の場に到るべし」と述べている。漠然と打ち、たまたま当たった技に一喜一憂するのではなく、こうすればこうなる、と理屈を考えて技を出し、打たれたならば、なぜ打たれたかを考え反省する。それが上達の早道というわけである。

事理一致(じりいっち)
「事」は実際の技、「理」は理論のことで、理屈はわからないがただ技ができるというだけでなく、また逆に机上では可能でも実際にはできないというのでもなく、技とその理論が一致すること。

礼に始まり礼に終わる
剣道の稽古では、まず開始のときの礼から始まり、最後にも礼をして終わる。このように、剣道修行においては、礼節を重んじることが大切だと教えられてきた。礼儀の大切さは江戸時代から説かれていたが、現代においては社会的な要請もあり、その重要度は増しているといえよう。

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